90歳絶筆の葛飾北斎と、荒木飛呂彦の修行

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振り返り記事お休みで、現在(2023年5月)についてのエントリーです。

2022年5月に乳がんの全摘+同時自家組織再建手術を済ませ、約1年が経ちました。
(同年10月の補助的手術からは7ヶ月)

おかげさまで結構元気です。

先月は長野に行ってきました。
温泉で過ごしたり、北斎の世界を楽しんだりの旅でした。

温泉は以前から大好きなのですが、今回2軒巡って新たに「ここは術後の傷を気にせず入れるな」「しかもお手頃料金」というところを見つけたので、余裕がある時に書きますね。

行ってよかった岩松院「北斎晩年の傑作」

もう一つの目的は北斎。

北斎館で「東都遊覧~北斎と巡る江戸の町~」、岩松院で「八方睨み鳳凰図」とはしごして、じっくり楽しむことができました。

信州小布施 北斎館|画狂人葛飾北斎の肉筆画美術館
信州小布施 北斎館では、肉筆画を中心に、版本や錦絵など、葛飾北斎の画業を広くご覧いただけます。北斎が80歳を超えた晩年に手がけた東町・上町の祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」、「男浪図」「女浪図」が常設展示されています。
曹洞宗 岩松院 | 小布施日和|小布施文化観光協会の公式サイト
雁田山の麓にたたずむ古刹・岩松院 岩松院は文明4年(1472)に開山された曹洞宗の寺です。 葛飾北斎や俳人小林一茶、戦国武将・福島正則ゆかりの古寺でもあります。これらの縁を示すように 本堂の天井には葛

平均寿命が40歳の時代、90歳まで生き3万点もの作品を残した葛飾北斎。

岩松院の「八方睨み鳳凰図」は最晩年に描かれたもので、本堂の天井いっぱいに鳳凰が翼を広げています。

「どこの位置から観ても、鳳凰がこちらを睨んでいる」という画法で、私もそっと移動してあちこちから眺めてみました。

江戸時代末期の作ですが、何とこちら修復をされたことがないのだそうです。
北斎らしい構図と極彩色が、当時のまま鮮やかに見下ろしてきます。

北斎作・八方睨み鳳凰図の御朱印(岩松院)
本堂は写真撮影ができないので、御朱印の写真をアップしますね。
(↑の「小布施日和」からも本堂を見ることができます)

 

「迫力」なんて軽い言葉で表現できないような、重く静かな存在感に息をのみます。
久々に震えがくるような気持ちになりました。

北斎はこの21畳分の天井絵を1年かけて、90歳間近で描いたのか。。。

アラフィフになると「もう年だから」「身体もきついし」とこぼしてしまいがちですが、鳳凰を見つめていると「年齢を言い訳にしちゃいけないなぁ」と素直に思えました。

 

ちなみに岩松院、お寺の前にタルトが売りの素敵なカフェもあります。
古民家の佇まいも素晴らしい。

タルトはもちろんお食事も美味しいですよ。(大学生・長男がハンバーグランチを「うまい!」「うまい!」といただいてました)

KUTEN。fruit&cake(クテンフルーツアンドケーキ) 信州小布施
KUTEN fruit&cake 公式サイト。長野県小布施町の岩松院の敷地内にカフェと製造所をを構え、周囲半径30kmの果物をふんだんに使用したこだわりフルーツタルトを全国発送しています。 大切な人と過ごすティータイムや記念日のお祝いのギフトなど様々なシーンでご利用ください。 生地から手作りで小麦粉や卵も地元の素材を使...

北斎館だけでも充分な見ごたえですが、岩松院まで足を運んで、さらにお茶できると幸せ度が高まるかと思います。

体力減退より深刻な「やる気の枯渇」

さてこの年になって初めて知ることですが、体力より先に衰えてくるのが情熱、という場合があります。
こればかりは若い方には「さっぱりわからん」という感覚だと思うのですが。

「子育てが一段落したらこれをやろう」「いつかは行ってみよう」と思っていたことに、心が動かなくなっていてびっくりしたり。

実は乳がんになる直前(2021年頃)の私は、心から楽しいと思えることがあまりなかったんですね。

何かやっても「一度経験したな」「以前に行ったし」「前に食べたことがある」という気持ちが強く、大きな感情の起伏なく家事・育児・仕事をしていました。

振り返ってみると子育てが一段落し、空の巣症候群が始まりかけていたのかも。
また、更年期もあったんでしょう。
そしてコロナ禍の影響も。

でもおかげさまで(?)乳がんの手術が終わってからこっち、その頃よりも心身共に健康な気がするのです。

食生活や生活習慣が変わったせいもあるのかな。

再三書いていますが、今までなかった運動習慣がプラスされたことは大きいと思います。
身体を動かすと神経伝達物質が増えて、脳が活性化し、やる気がでるのだそうですよ。

北斎で思い出す「荒木飛呂彦の言葉」

自らを「画狂人」と呼ぶほどの情熱を最期まで持ち続けた北斎。
今回の旅で数々の作品を見ていて、ジョジョの荒木飛呂彦先生の言葉が頭に浮かびました。

❝マンガって、ネタに困るよりも描く気力がなくなることのほうがよっぽど怖いんです。「なんだか今日は描きたくないな」という気持ち、これが一番怖い。(中略)そういうときにあえて散歩に出かけるとか、描く気力をなくさないための気をつけ方というのは人それぞれだと思いますが、なによりも大切なことは「好奇心」をなくさないことだと私は思います❞

❝自分に自信を持つために修行するんです。私はいまでも何十、何百タッチと、毎日たくさん描いています。だからこそ、あまりペンを握ったことがない人では絶対描けない線を引けるようになるんです。これは野球の素振りにも通じるんじゃないかと思います。ホームランだって、急に打てるようになるものではないですから。そういった表立っては出てこない努力の積み重ねが自信につながっていくんだと思います❞

「ネタに困るより描く気力がなくなることが怖い」というくだりを思い出し、どこで読んだのかなと思って探したら、あった、ありました。

読み返しました。不登校の当事者が企画・取材したという一冊。
人生の大先輩20名から体当たりで引き出したという「生き方のヒント」の本です。

※ ❝❞部分は「学校に行きたくない君へ」からの引用となります。

荒木飛呂彦ほどのベテランが、今もって毎日努力を欠かさない。
そりゃあ、何者でもない人間が漫然と日々を過ごしていたら、成し遂げられることなんてそうそうないんだよなぁ。

私が中学生の頃に「ジョジョの奇妙な冒険」が始まっているので、この作品だけでもゆうに30年以上ですからね。第一線を走り続けるプロの言葉は重いです。
(話の筋を知らなくても「君がッ泣くまで殴るのをやめない!」がクラスで爆発的に流行った)

意識低い系の私ではありますが、「好奇心を失わず、牛歩ながらもちょっと努力してみよう」と思う旅になりました。

 

北斎が死の淵から自力で蘇ったという話|太田記念美術館
葛飾北斎は文政10~11年(1827~28)、数え68~69歳の頃、中風(ちゅうぶう)、すなわち脳血管障害の病気を患います。 脳血管障害の症状は人によって様々ですが、たとえば、北斎の兄弟子である勝川春好も中風を患い、絵師の命ともいえる利き手が麻痺してしまいました。晩年は左手で絵を描くようになりますが、病気する前と同じ...

こちら太田記念美術館のブログですが、北斎が脳血管障害から自力で回復した、というお話が大変興味深いです。
「冨嶽三十六景」刊行が、中風を患って数年後というのもハッとさせられますね。

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