2022年5月下旬。
乳がん全摘+同時自家組織再建手術(腹直筋皮弁法)から6日が経ちました。
朝の回診は問題なく、今日から全身シャワーが可能に。
(昨日の洗髪台は難儀であったことよ…)
可動域狭めの右腕ですが、シャンプーして身体洗ってと問題なくできました。
さて手術してからこっち、胸には胸帯、お腹には腹帯を着けっぱなしです。
(ちくちく縫った上にテープを貼って帯を締めています)
なので、ここまで術後の身体をほとんど見てないんですよね。
回診の時に患者衣の前を開いて患部を診てもらうので、私自身も一応帯なしの身体を目にする機会はあります。
が、それはベッドから身を起こして座ったままちょいと見るだけでして。
鏡に映して正面から、まじまじと見るようなことはなかったのです。
ずっと着けていた胸帯・腹帯を全部外したのはこの日が初めて。
立って身体全部を見渡したのも初でした。
乳房再建した右胸と初対面
シャワー室で見たシン・右おっぱいの第一印象は、、、
「なかなかに普通だ~」
真っ直ぐ立って正面から鏡で見る限り、左右差の違和感などありませんでした。
(私は乳頭温存しましたが、その辺りもほぼ問題なしでした)
え。
わ、わーー。すごい。
現代医療すごい。
どうやって、こんな技術を編み出せたんだろうか。
だって、事前受診ではお話しして何枚か写真を撮り、あとは身体に印をつけただけ。
あとは当日前後不覚でぐうぐう寝ている私に手術してくれているわけで。
当然だけど横になれば胸も脇側に流れるんだけど、それを左右を見比べてこんなに再現できるものなんだろうか。
しかも胸の形を作るのはもちろん、(乳腺外科による乳がん全摘の後)難しい関門である、お腹のお肉をもってきて、胸、脇の血管とつなぐという大技をやってくれてるんですよね。
すごすぎる。どんな職人技なのか。下町ロケットか。
もちろん手術した部分の色は変色しています。
この時点では再建した右胸が黄色いんですね。
そりゃそうだ。
マンモトーム生検した後だって内出血で黒っぽくなり、治るにつれて徐々に黄色くなっていったのですから。
ドレーンの痕とか帯締めた後のかぶれやみみず腫れとか、傷はあちこちにある。
胸横とお腹の手術痕にはテープが貼ってある(ので、直接傷口は見えません)。
そして術前に身体にマークをつけた手術用のマジックはうっすら残っている。
ちゃんと描こうと思ったら抗争後の絵面になっちゃうので
だから上半身はかなり賑やかな感じなんですが、胸のフォルムだけ見れば相当「大丈夫」な感じです。
時間が経って傷が癒え色味が元に戻れば、いけるのではないかと。
そんな風に考えられるような状態でした。
一方脂肪を取ったお腹の状況は
そして、私は腹直筋皮弁法で再建しており。
この右胸を形作り脂肪は腹肉から持ってきているわけで。
では、お腹の方は現状どうなっているかっていうとね。。。
(自家組織再建の情報収集している方もご覧になっていると思うので書きますが)
。。。
ぺったんこだよね!
予測していたことだけど、お腹のお肉がないです。
私、身長155㎝ほどでして。
子ども産む前の体重は45㎏弱だったんですよ。
でね、一人産んで育てたら2㎏くらい増えて戻らなくなり、二人産んで育てたらさらに2㎏増えてもっと戻らなくなり。(遠い目)
二人目の授乳が終わった後は坂道を転がるようでしたよ。(念のため言っておくと、坂道を転がり上がっている)
で、40代後半更年期になって、「え、どちらさま?」って感じに丸くなってきちゃってですね。
もちろん胴周りも腹踊りがうまく踊れそうな具合に進化していき。
この蓄えが、右の腰骨から左の腰骨まで一直線に切った場所から取り出され、右のおっぱいになってるんですよ。
(前にも書いたけどCT検査で調べてもらったお腹の皮下脂肪は2㎝。これを二つ折りにして4㎝の高さを出している)
だからね。
お腹ぺったんこ!
術後すぐ、中学からのツレ・馬山さんから「どんな塩梅だ。50にして巨乳の細ウエストの悩殺ボディに生まれ変わりか」というメールが来ていて。
寝たきりの間はピンとこなかったのですが。。。
巨乳はともかく細ウエスト。
(というか下腹が出ていない状態)
こんな平面図的お腹、いったいいつぶりにお目にかかったのでしょう。
驚きのビフォーアフターです。
「なるほど、私はこの時のために腹肉蓄えてきたのか」という気持ち。
半分本音、半分冗談ではありますが。
半分冗談というのは、「もしかして体重増加も乳がんの一因になったかも??」という考えもどこかにあるからです。
ただ、ある程度お肉がなければ腹直筋皮弁法の乳房再建はできないし。
ということで、やはり腹肉には感謝しようと思いました。
そんな風に、手術が終わって一安心、HCUを無事出られて一安心、そして全身を見てみて一安心。
と、3つの山を越えられた入院8日目でした。